この春、子どもは小学校にあがり、毎日元気に登校しています。もう幼児ではなく子どもになり、あたらしい世界に足を踏み出して行った、という感じです。
わたしの方も、そういうわけで少しずつ「わたし」である時間を取り戻しつつあります。子どもが生まれてはじめの3年は、ほぼ24時間拘束されている状態(笑)。出産前は、小説のほかにも詩、朗読、連句などいろいろなことをやっていたんですが、外に出ることはすべて無理になり、小説を書くだけで精一杯な日々でした。
小説が書けたのは、連載、という仕事だったから。母親になってみると、母親業以外のことをすることに罪悪感を感じます。母親業をおろそかにして「休む」ことも「遊ぶ」こともできない。詩も自分が好きでしていることだから、もちろんできない。でも小説は仕事だから、と言い訳できたのです。
それに、考えるということさえ細切れにしかできない状況だったせいで詩は書けなくなってしまったのに、なぜか小説は書けたのです。物語への欲求が非常に強くなっていたというのもあります。子どもが2歳半くらいのときでしょうか、ジブリのアニメを見られるようになりました。子どもが生まれてから映画も見られないし本もまともに読めませんでしたから、わたしにとっては久しぶりに見る物語でした。いっしょにトトロやナウシカを見ていたら、いたるところで号泣してしまいました。物語というものが世界を束ねてくれる。それをはじめて強く感じました。
子どもが保育園に通うようになり、平日の昼間は時間ができるようになりました。といっても、うちは夫が忙しく、夫に子どもを任せることは無理だし、実家も遠い。なので、子どもが帰ってきたらほかのことはなにもできないし、夜の誘いはすべて無理。土日もひとりで出かけることはできない。自由になるのは平日の昼間数時間のみ。あれもこれもは無理、でもなにかひとつでも、と思って、結局小説を書くことを選びました。
けれども、それまでつきあいのあった方々とはなかなか会うこともできないままでした。朗読などのイベントにも行けないし、自分がイベントをすることもできない。そういう世界から遠ざかってしまっても、日々の生活で精一杯で、仕方がない、としか思えない。。。仕事関係の方にも、友人知人にも、たくさん失礼をしてしまいました。情けないかぎりです。子どもが生まれてそろそろ7年。むかしからのつきあいはわたしの不義理や怠惰、配慮のなさからほとんど切れてしまい、むかしの場所にもうわたしは存在しなくなってしまったんだな、と実感します。
でも、いまふたたび、わたし個人として外の世界とつながりたい、と感じています。前のわたしになるのは無理だし、いま思うこととちがいます。いまのわたし、家族がいる、しかし表現するわたしとして、あらたな在り方、あらたな場を作らなければなりません。
年齢もあがったし、時間的な制約があることにも変わりはありません。緩んでしまった分、前よりもっと緊張して、配慮していかなければなりません。一からやり直しですから労力もかかるでしょう。でも、手探りで精進し、一歩ずつ切り開いていきたいと思います。