先日「ほしのたね」のみんなと連句を巻いたこともあって、むかしわたしの連句の師・村野夏生さんからいただいた連句集「滿天星」を読み返してみました。連なるうつくしい言葉の数々にあらためて驚きました。
わたしがはじめに連句を習ったのは、夏生さんの教室ででした。夏生さんは東京義仲寺連句会同人で、かつて「わだとしお」という名前で「杏花村」という俳諧誌をご自分で100号まで出した方でした。若いころのわたしにはそれがどれほどのことかよくわからなかったのですが、いま思うと、その俳諧への愛の深さに感服します。
夏生さんは後進を育てることに熱心で、わたしもとてもよくしていただきました。村野さんの導きで若い人中心の連句サークルを作ったり、岡本星女さんの支援で若い人100人を集めた連句フェスティバルを開いたり、当時はわけもわからずイベント運営をしていましたが、今思うと、連句を若い人に伝えたいと言う夏生さんの思いにただただ頭が下がります。
たくさんのことをご存じなのに、若い人の発想も受け入れてくださいました。どんなに拙いつぶやきでも、連句では前後とのからみで輝くときがあるのです。連句はテーマやストーリーでつながるものではない。五七五と七七という定型があるからこそ、内容は自由に飛んでいけるし、世代を超えて人とつながることができる。大学生とも巻いたし、年配の方々とも巻きました。いずれも楽しかったのは、夏生さんの捌きのおかげだったのだなあ、と思います。
舌頭千転、と夏生さんはよくおっしゃいました。言葉は磨けば磨くほどうつくしくなる。わたしは連句でそれを学びました。その言葉通り、「滿天星」に並ぶ句たちは、どれもみなうつくしい。こういう域に到達することは出来ない気がします。夏生さんとともにこのようなすばらしい言葉の庭に集う機会が持てたことは一生の宝と思います。
わたしの小説が「群像」の新人賞で優秀作になったときもお祝いの句を作ってくださいました。いまでも大切な思い出です。夏生さんはもう亡くなって久しいのに、町で似た人を見かけると、夏生さんかも、と思うときがあります。
子どもができたこともあって、久しく連句から離れていましたが、また少しずつ巻いていきたいと思います。わたしにはあのような域に到達することはできないかもしれませんが、夏生さんの思いを、さらに遠くから伝わる俳諧の面白みを、少しでも若い人に継ぐことができたら、と思います。


 かつて樹たりし記憶透く春    夏生