雨  八木重吉

雨がふっている
いろいろなものをぬらしてゆくらしい
こうしてうつむいてすわっていると
雨というものがめのまえへあらわれて
おまえはそう悪るいものではないといってくれそうなきがしてくる


今から考えると変な子どもだったなあ、と思うのですが、小5くらいのときから、わたしは詩が好きでした。図書室から詩の全集を借りては、ランドセルに入れて持ち歩いていました(重いのに。。。)。自分の好きな詩を手書きで書き写し、下敷きにはさんで眺めていました。
なかでも好きだったのは八木重吉の詩です。今でも好きでときどき読み返します。八木重吉の詩は短いものが多いのですが、わたしはなかでも3行、4行の短いものが好きです。むずかしい言葉や比喩も少ないので、小学生でもじゅうぶん読み味わうことが出来ます。
重吉はクリスチャンで、結核をわずらい、30歳で亡くなりました。子どもがふたりいましたが、どちらも重吉の死後、成人せずに亡くなっています。クリスチャンとして神への想いを綴ったものも多く、病気のことを考えながら読むと胸が詰まります。

雨の詩はほかにもたくさんあります。

雨は土をうるおしてゆく
雨というもののそばにしゃがんで
雨のすることをみていたい

窓をあけて雨を見ていると
なんにも要らないから
こうしておだやかなきもちでいたいとおもう


重吉の詩には、世界のなかの小さなものの輝きやふるえが宿っています。小さな雨の一滴が怖いほど透明であかるいのです。死ととなりあわせに生きたこともあるのかもしれません。
重吉はなにを見てもその向こうにいる神さまを見ていたのかもしれない、と思います。神さまの前でどんどん小さくなっていく自分。ここまで小さくなることを受け入れた詩はほかにないかもしれません。ですが、小さくなることで、世界を受け入れ、世界に溶け込んでいくことができるのです。
ほかの好きな詩もいくつかあげます。

母の顔

お母さんの顔をみたくなった
お母さんの顔をとおりぬけると
本当のことがわかるように思えてならない

幼い私

幼い私が
まだわたしのまわりに生きていて
美しく力づけてくれるようなきがする

もしも私が
鳩を創った者だったら
他に何もせずに死んでもいいと思われる


読むたびに、ゆるされる、ということを感じます。100年も前の、若くして亡くなった詩人の言葉になぐさめられる。鳩のうつくしさのように重吉の詩もうつくしい、と思うのです。


これからときどきわたしの好きな詩や物語などを紹介していきたいと思います。