少し前に『ユリイカ』に発表した詩、『ユリイカ』編集部さんの許可をいただいて、こちらにもアップすることにしました。
久しぶりに書いた散文詩、かなり長いんですが、よかったらご覧ください!




■空に光る幾筋もの細い糸



ええ、そうですね、蛇口をひねりました、わたしも。たしかにひねりましたよ、でも、あんなことが起こるなんて、だれも思わないじゃないですか、ただ、わたしは水を出そうと思っただけなんですよ、そう、水を


出した手紙が戻って来ない。いっぱい出したはずなのに、一通も戻って来ないんだ。住所が間違っていたのかな? それとも宛名? 切手を貼り忘れたのかもしれない。それとも相手はわたしの言うことが気に入らなくて、それで返事を返してくれないのかも。ああ、あんなこと、書かなきゃよかった。みんな、わたしを嫌いになってしまったの? そうじゃなくて、ただみんな最初からわたしになんか関心がなかっただけ? 最初から見えてもいなかった? わたしなんていないのと同じ? ああ、それとも、封筒の色が相手の心を傷つけたの? 切手の貼り方が悪かったの?


いっぱい出したはずなのに。もう何年も出し続けているのに。一通くらい返事が来たっていいのに。それだけを待ってるのに。ずっとずっと返事を待っているのに。出したこと自体が間違いだったの? わたしなんかいなければよかったの? ただの草のように生えて枯れて、ふくらんで、そうしていればよかったの? だれも最初からわたしがいるなんて気づいてなかったの? そうなの? 間違っていたのは住所? 手紙? それともわたし? もしかしたら最初から手紙なんて出してなかったの? 手紙なんて書いてなかったの? それともわたしなんていなかったの? あ、ああ、空が真っ黒にかげって、


雷が鳴る


蛇口から世界が壊れていく、?????って?ばかりが続くメールを読み返して、電車の窓から外を眺めて、晴れていく空を眺めて、歩道橋を行く人たちを眺めて、ぴこぴこ動くゲームみたいな人々を見て、ああ、そういえば、むかしはわたしにも行く場所があったなあ、って、公園のブランコの柵とか、朝のゴミ捨て場とか、土まじりの匂いとか、そんなんじゃなくて、もっときらきらしたどっか。汗かいてスキップして焦って転んだり、一日じゅう蜂蜜みたいな色の空の下で走り回って、自分がきれいだと思ったり醜いと思ったり、人の髪の毛をうらやんだり、でもそんなのすべてちっちゃいことだったね。だってわたしたちって、どうせみんな死んじゃうんだから。


蛇口なんて何度もひねる、一日に何度もひねる、無限にひねれると思っている、だけど、そうじゃないんだ、ってあのときわかったんだよ、なんだって終わりはある、水にだって、蛇口にだって、世界にだって。


どれもこれも蛇口が壊れて、わたしたちはその日からずっと水浸しの家のなかにいます。だれかと通信したい、だれかと話したい、だれかとつながりたい、だれかと。だけどそれはもうすべて無理。どうやってもここから出られなくなってしまいました。部屋のなかにはわたしと、見たことのない変な人がふたりで、その人は、わたしはわたしじゃなくて、その人がほんとのわたしだ、って言うんですよ、だから、わたしはこうやって手紙を書きました、瓶に詰めて海に流せばいいんだって、もう何本もトイレから瓶を流そうとしたんです、だけど、流れていきません。蛇口が壊れてるんです。直してください、だれか。


虹が生えてきました。そう、あの日から生えてくるのは虹ばかり。もう壊れちゃったんだね。壊れているってわかってるから、涙腺が緩くなってしまってね。そうだねえ、人が一生懸命なのはうつくしいね、悲しいね、揺れる蜘蛛の糸のように、落ちていく花びらのように悲しいね。ただ疲れているんです。みんな手紙を待つことに疲れて、壊れた蛇口をぼんやりと眺めている。消えていくのは悲しいことじゃない、だけど怒りは感じるんです。だって、そうでしょう、なぜ手紙が一通もつかないんでしょう。こんにちは、だけでもいいんです、せめて、中身もなくていいから、


圧がかかる。虹がたくさん生えてきて、それを見るたびに自分が小さくなる。小さく小さく小さくなって、なくなっていく、消えていく。キノコのような朝でした。もう二度と揺れません、光りません、壊れません、でも、もう無理なんです。もう二度と蛇口をひねれない、だって、あのときのことを思い出すでしょう? ただ一度蛇口をひねっただけであんなことが起こるなんて。だれだってそう思っていたにちがいない。怪獣も円盤も爆弾もなかったのに、世界は少しずつ目減りしてく、だれかが罪を背負っても、世界を繕うことはできないって、


世界はいつだって手でさわれない。動かすことができない。最初からそこに世界なんてないから。見えているのは過ぎ去った映像だから。わたしたちは消えてしまった影だから。わたしたちは蛇口をひねり、指を静かにそこに浸す。赤い液体が流れ、蛇口から流れてきたのか、指が切れて血が流れているのか、わからなくなる、痛いのか痛くないのかわからなくなる、壊れたのは蛇口じゃなくて、わたしたちの皮なのかもしれない。全部あのとき終わったんだよ、終わったことを見ないようにして、木のまわりで鬼ごっこを続けていたんだよ、わたしたちは、日だまりの子どものように、幸福で、幸福であることが怖くて、そしてそれは、もう終わったんだ。


流れ落ちていく、ひとつひとつの小さなしずくの、そこに閉じ込められたわたしたちの小さな望み、もっと遠くへ、先へ、先へ、先へ。だけどそうやって蛇口ばかりをあちこちに植えて、それでなにをしようとしたのか、ああ、また雨が降って、そうやってただ濡れているだけで、わたしたちはただ濡れるだけで、なにもかもいなくなる。祖父の家に残っていたたくさんのアルバム、わたしの知らないたくさんの人、孫の写真に寄せた祖母の俳句、むかしの木の家の古い縁側、柿の木、団地の古い洗濯機、戦争に行った祖父によく笑う祖母。もうなにも残ってはいない。ブランコで笑う若いころの母、アメリカに魅せられた父。教会のある学校の、プラタナスの並木。川が流れ、わたしたちは歩いている。晴れやかな日のまぶしいうつくしい空の光、それを受けていたわたしたちの晴れがましい、輝かしい、なにか憧れのような、遠い先のことを思って、笑いながら、おびえながら、先へ、先へ、先へ、だけどああ、それも蛇口から流れて、


届かない、どこにも届かない、川を流れながら、わたしたちは涙をこぼす、そんなことをしたって、蛇口はもう壊れてしまったし、わたしたちは流れていくしかないし、それでも空はあんなに青くて、息が止まりそうなくらい青くて、あちこちからたくさん虹が生えて、だけどもう手紙は来ません、どこからも、あなたは忘れ去られて、先に行くのはあなたじゃない、そうやって振り落とされ、ただ雨のなかをびしょぬれになって、泥まみれになって、波の向こうとこっちの狭間で、小石のように、わたしたちは、蛇口が壊れているから、手紙は戻ってこないから、生えてくるのは虹ばかりで、むかしの人の嘆きばかりが聞こえて、わたしたちは溶けていくのかもしれない、


ぽつぽつと、わたしたちは流されて、がらがらと雷が鳴って、身体がいくつも打ち寄せられて、あれほど大切だったあれにもこれにも存在する意味なんてなかったんだ、って、なにもかも、形があろうとなかろうと、なにもかも壊れていくんだ、って、叫ぼうにももう喉も壊れていて、屋根もガラスもがたがたで、わたしたちには世界を描く力も、世界を見る力もなくて、網膜が灼けて、日の光を浴びながら細胞がひりひりと壊れていく、夏の砂浜で、土砂降りのなかで、走りながら、笑いながら、波が足下に寄せて引いて、太陽がまぶしくて、そんなあたりまえのことに胸を突かれて、無数の虹が生えています。茂って、茂って、なにも見えなくて、


遠くに小さい影が、揺れて、


  バイバイ


  (バイバイ)

  
  また明日


  (また明日)


夕暮れの坂に犬の声が響きます。わたしは子どもを迎えに駅に向かって歩いていきました。雷の音が遠ざかり、この先に待っているのが自分の子どもなのか、それともわたし自身なのかわからなくなって、わたしはどんどん早足になり、追い立てられるように走っていました、


空に大きな蛇口が浮かんで、わたしはあれに手が届かなかったけど、そしてだれもあれに触れることはできないけど、ただあれをひねることを夢見て、


雷雲がほどけて、今日も世界は完全に押し流されずにすみそうです。残念ながら世界をすべて塗り替える魔法はいまのところ見つからないようですが、なんとかつながったままでいます。ここは静かな廃墟などではなく、わたしたちはスーパーで野菜を買い、肉を買い、魚を買い、細かな数値を機械ではかり、仕事がないとぼやき、身近なだれかを憎み、 スマホの小さな画面を見つめ、だれにともなくつぶやいて、あるいは道で突然突っ込んできた車にはねられ、そうやって生きています。わたしたちの終末は終わりました。終末を淡い光のように思っていたけど、大きな段落にすぎなかったのです。わたしたちはいまも細い細い糸のようなものでようやくつながって、切れずにぶら下がっています。だから、


行きましょう。歩きましょう。ほころんでしまった映像をつなぎ合わせるのはもうやめましょう。ここが新たな土地なのです。小さな光がいくつも、地面のうえにきらめきます、ほつほつと、新しい、小さな光が、点滅して、


飛び立って行きます。細い細い蜘蛛の糸のような、それが空にかすかに光って、あの細いものをきれいだなと思って眺めていたときもありました。あれがそんなものだとは知らず、ただきれいなものと思って、憧れて、ぼんやりと眺めて。覚えていることができるでしょうか、わたしは、わたしがいたことを。ほら、空に光る幾筋もの細い糸、あれが手紙だった、いえ、ほんとうはわたし自身が手紙だったのだと思います。なにも書かれていなくても、切手が貼られていなくても、どこにも届かないとしても、やはりわたしたちは手紙なのです。だから、


行きましょう、


もう一度、空に光る、幾筋もの細い糸を見上げて、



■初出 『ユリイカ』2012年7月号(青土社



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