せっかくブログを再開したので、過去に雑誌などに掲載されたエッセイなども、忘れてしまわないように、こちらで公開していこうと思いました。掲載時、字数制限などの事情で削ってしまった部分については、必要に応じて加筆していきます。
次にあげる「一歩ずつ」は、今年4月の至光社の月刊「こどものせかい」付録「にじのひろば」に掲載されたものです。でも、執筆したのはその前の年の夏。娘が6歳のときですね。



■一歩ずつ


 子どものころ、わたしが最初に歩いたときはどんな感じだったか、最初に口にしたのはどんな言葉だったか、などと父母に訊いたことがある。さあ、なんだったっけ、なんとも言えないなあ、というあいまいな答えで、いい加減な親だなあ、とあきれたものだった。だが、娘を持つ今になってみるとわかる。最初の一歩も最初の一言もあいまいなものなのだ。最初のうちは立ったと思ったら転び、どれが最初の一歩だったのかはっきりしない。不確かであいまいな一歩が続いて、気づくと十歩くらい歩いていた。
 そうやって少しずつ子どもは変わっていく。何年か前、わたしたち夫婦の会話の最中に突然下から「なに話してるの?」という声がしたときは驚いたものだ。自分たちがいつのまにか三人になっている、と気づいて。
 そして今。二年くらい前は「もしわたしが死んでも、もう一度生めばいいじゃない?」と言っていた娘が、「人って死ぬと焼いちゃったりするんでしょ? でも、わたしはママが死んでも絶対焼かない。だってそしたら、もう二度とママの身体を見られない、ってことだから」などと言うようになった。驚き、これまで感じたことのない気持ちを味わって戸惑う。娘のことを考えたら、簡単には死ねないな、と。
 むかしは自分が消えるのが怖いだけだったのに、今は娘が母親を失うことの方が苦しいと思う。人はいったん成長して、衰えていくもの、と思っていたけれど、ほんとうは死ぬまで不確かに一歩ずつ歩み続けていくものなのかもしれない。


    至光社の月刊「こどものせかい」2012年4月号付録「にじのひろば」に掲載