この夏に書いたエッセイです。


●胡瓜の馬に乗って


 お盆の時期になると、あちこちに胡瓜や茄子に脚がついたものがあらわれる。子どものころ、あちこちにそれが置かれているのを見るたび、なんだろう、と思っていた。野菜に脚がついているだけだが、不思議とかわいらしい。ご先祖様がこちらに帰ってくるときに乗る馬だと聞いて、あんな小さいものに乗るのか、変なの、と思った。
 だが最近になって、なぜか乗り物らしく見えるようになってきた。乗ってみたい。あれに乗って、かっぽかっぽと町を散歩してみたい。あんな大きさになったら、人も家もさぞ大きく見えるだろう。家に戻って来たら、きっといちばん先に台所に向かう。冷蔵庫や食器棚を見上げ、人だったころは毎日あれを開けたり閉めたりしていたなあ、と思い出す。家のなかを回って、ベランダで懐かしい景色を眺め、風に吹かれて、なにしろもう充分生きたあとだからそれくらいで満足して、あとは畳のうえでごろごろして、そのまま寝てしまうかもしれない。夢のなかで、生きてる人やほかの霊たちといっしょににぎやかに過ごす。目が覚めたら、生きてる人たちはそのことをすっかり忘れてしまうのだけれど。
 最近、胡瓜や茄子の馬に乗りたい、と言ったら、あれは胡瓜が馬で、茄子は牛なんですよ、と言われた。霊がこちらに来るときは速い胡瓜の馬で、あちらに戻るときはゆっくりと茄子の牛で。いやいや、霊は胡瓜の馬に乗り、茄子は荷物をのせるんですよ、と言う人もいた。霊にも荷物があるのか。いったいなにをのせるのだろう。
 むかしは夏を無事に越えるだけで大変だったのだ、と亡くなった祖父母が言っていた。のんきにプールやかき氷を楽しんでいるいまとは、まるでちがったのだろう。だから胡瓜や茄子で霊をお迎えしたんだろう。
 胡瓜の馬と茄子の牛。いまはずいぶん減った気がする。でも、わたしはあれに乗りたい。家族に頼んでおけばよいのか。胡瓜の馬に乗る。死んでからの楽しみである。


*うた新聞2013年9月号(いりの舎)に掲載。